第237/365回:「思い込みや決めつけのパラダイムが出来上がるのは何故?」

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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ものの見かたや考え方と言う“パラダイム”はそもそもどうして出来上がるのか?

過去何度かお話させていただいたとは思いますが、大事なことなので改めて説明させていただきます。

結論から先に申し上げますと、人間が成長して行く過程で、親や学校、会社やメディア等の社会的な外部からの“刷り込み”によって、「~べきだ」「~ねばならない」と言った“反応的なパラダイム”は形成されて行きます。

その“パラダイム”“原則に即したもの”であれば問題無いのですが、多くの場合この“刷り込み=洗脳”による“パラダイム”は、「決めつけ」「思い込み」等の思考の出発点となってしまい、自分以外の他者を「評価・判断」する物差しになってしまいます!

人間は産まれた時は“パラダイム”は真っ白の状態です。成長する過程に置いて上記外部からの“刷り込み=洗脳”により、この真っ白なキャンバスが色付けされて行きます。

子供の頃を思い出してみましょう!恐らくほとんどの方は、遊ぶことに関しては「遊びたい!遊ぼう!」と言う自然な気持ちを持っていたのに対し、宿題や勉強に関しては「宿題はやらなければ」「勉強はやるべきだ」と感じていたと思います(アウトサイドイン=やれされている“指示待ち状態”のアプローチ)。

勿論、自らの意志で学ぶ必要性を感じ、主体的に勉強することは必須ですが、子供の頃本当は“やりたくない”宿題や勉強に対して「ねば・ならない」と自分の本音とは違うパラダイムを抱いていたのは、親や教師からの“刷り込み”によって形成されて行くからです。

「常識的には・・・」「一般的には・・・」「あなたのためを思って・・・」「普通は・・・」などの言葉は本来は持ち合わせていない“反応的なパラダイム”なのです。

この手の発言はパワハラを行う人間が「これはパワハラではない。教育だ!」と自分を正当化するため、相手を負かすため⇒win-loseの人間関係を目指すために使う常套句です。

そもそもそうしたパワハラ人間も入社したころは、そうした“パラダイム”など持ち合わせてはおらず、上司の発言や企業風土の中で「これは教育なんだ!」と言う刷り込み=洗脳を受けて行き“反応的なパラダイム”は形成されて行きます。

“パラダイム”は“思考・行動”に影響を及ぼし、その“結果”をもたらします!

パラダイム⇒思考⇒行動⇒結果はつながっています。

その時にどんな“パラダイム=眼鏡”を掛けてものごとを見るのか?は、とても大事なことです。

このお話は次の投稿で。

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