「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。
原則とは・・・①万国共通で不変なもの
②質の高い結果を生みだすもの
③私たちの内面の外側にあるもの
④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの
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⇒おっしゃる通り。これはすべての議論、すべての日本人に向けて発せられた言葉では無くて、「緊急中毒」から抜け出せない残念な方々に対しての言葉です。
私も意見の対立がそのまま人格攻撃に発展して行くパターンを幾つか見てきたことがありますが、攻撃者に“共通する要素”としては、相手の意見はとにかく全力で否定する・認めない、自分こそが正義だ・正しいと思い込んでいる、議論の中身よりも発する相手に対して執着している、最初から相手の話を聞く気などない、議論は勝負だと思っているなどが挙げられます。
⇒これは日本に限ったことではありませんが、政治による権力闘争や派閥の争いなどに「我こそが正しい(正義だ)」という言葉が濫用され、相手を徹底的に叩きのめすネガティブキャンペーンが展開されたことで、不毛な議論から人格攻撃に発展して行った経緯もあると思います。
*正義が生き残るためには、わかりやすい攻撃対象である“悪”が必要となります。米国こそが正義で、米国に敵対するイスラム国家は悪の枢軸であるなんてキャンペーンもありましたね。
さて、ここでコヴィー博士にご登場いただきましょう(笑)
議論が人格攻撃となってしまう残念な人々は・・・
一刀両断です(笑)結局は人格攻撃をするような輩は“自分に自信がない可哀そうな人たち”なんですね。
他者からの評価にいつもビクビクと怯えて、相手を“思いやる”ことも、自分の主張を堂々と述べる”勇気“もない。だから意見が否定されたら、感情に支配されて安易に人格攻撃に走る。
非情にわかりやすい“反応的な人々”です。
次回は「なぜ、人は人を許せなくなってしまうのか」という、これまた面白そうなテーマに入って参ります。
(連続投稿388回目)