230410「自制とは?」

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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第7の習慣である「四つの側面の刃を研ぐ活動」、これがもっとも高いレベルに達すると・・・

知的側面⇒ビジョン・肉体的側面⇒自制・社会情緒的側面⇒情熱・精神的側面⇒良心になると「第8の習慣」では書かれています。

そしてこの四つは、私たちのボイス(内なる声)をもっとも高いレベルで表現する手段でもあると。

ビジョンについては見て来ました。

では、自制を辞書でひくと・・・

自制=自分の欲望や感情を抑えること。と書かれています。

「第8の習慣」に置ける自制とは・・・ビジョンを実現するために犠牲を払うことであると書かれています。

ただただ、欲望を抑える、我慢することよりももっと広義な意味で使われています。

その意味するところは・・・

「第1の創造で描いたビジョンを実現するための実行力であり、その実現のために払う犠牲である」

また、自制は意志の力の表れであるとも書かれています。

やろうと決めたことをやり抜く力=まさに“意志の力”です。

例えば、ダイエットをしようと決めたときに、その瞬間から自制は始まります。

確実に痩せるためには、どんなスキルや知識や熱意が必要かを考え、どんな方法で行うのかを考え、十分に準備・計画する(第1の創造)。

そして自らを自制して、行動に移す(第2の創造)。目の前に大好きなスイーツや、ジャンクフードがあっても、食べないという犠牲を払うこと。

「より大きな、より長期的な良いことのために、目先の快楽を我慢する。こうして主体的に犠牲を払うことが自制なのである」「第8の習慣」 p134

取りたい資格があるのなら、TVやYou tubeを見る時間を削ってでも勉強時間に充てる。

健康な身体を手に入れたいのなら、暖かい布団から抜け出して、ウォーキングやジョギングの時間に充てる。

主体的な人間になりたいのであれば、スペースを広げることを意識し、その場の感情に振り回されることを手放す。

このように、本当にやりたいこと、成し遂げたいことを成し遂げるために、やろうと決めたことを実行に移す力、目先の楽しみや快楽を手放す勇気、これが自制できている状態ですね⇒「燃えるようなYes」以外には「ノー」を突きつける。

「本当の意味で自由なのは自制できる人であって、自制できない人は、気分や食欲、熱情につき従う奴隷なのである」「第8の習慣」p134

インサイドアウトの生き方ができる人は、自制ができる人たちであり、アウトサイドインでしか生きられない人たちは、自制ができない人たち。

ビジョンを達成するためには、高い自制が要る。

ビジョンを掲げても自制が効かずに、目の前の楽しみや快楽に身を投じてしまう、できない理由など言い訳ばかりしている、言われたことしかやらない・・・こうしたアウトサイドインの生き方をしている人たちは、ビジョン達成はおろか、自分の人生をも生きられない、他者の脚本のなかでしか生きることができない残念な人たちです。
「総じていえば、言い訳ばかりしている人は自制する力が弱く、何に注力すればよいかわかっていない。これでは達成できないのも当然だろう。惨めな結果は自分が選びとっているのだ。物事には必ず理由がある。言い訳は通用しない」「第8の習慣」p136

(連続投稿418日目)