「7つの習慣」は個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。
原則とは・・・①万国共通で不変なもの
②質の高い結果を生みだすもの
③私たちの内面の外側にあるもの
④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの
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皆さんにとって幸せってなんですか?
私も同じ質問をされたことがあります。
「衣食住が満たされて、やりたいことがあって、人に貢献できることに喜びを感じられる人生。健康で心が穏やかな状態にあること。ちょっとしたバカンスを楽しめる程度の収入があること」と答えました(相当贅沢なこと言ってます? 笑)。
しかし、もっと削ぎ落すと健康面での問題がなく、心が穏やかな状態で過ごせれば、その状態が究極の「幸せな状態」ではないのだろうか?とも思います。
仕事も収入も、住む場所がなくても(ホームレスであっても)、差し迫った身の危険がなく、食べ物や飲み物が確保できるような状況であれば、むしろ枠に閉じ込められた社会で生きているよりも、「幸せな状態」でいられるのではないかと思ったりもします。
ホームレス三日やったら止められないなんて言葉もありますから!?
ただし、「幸せな状態」でいることと、「幸せな人生を生きる」ことはまた異なってくると思うのです。
「幸せな状態」は孤独が好きな人なら、一人でも恐らく作り出すことができます。
もしも、今自分が家族を持つことなく一人で暮らしていたら、若いころのように「幸せな状態」を楽しめていたのだろうか?などと考えたりもします(笑)それでも、友だちも一人もいないような人生だったら幸せな状態とはほど遠いのでしょうね。
それに対して「幸せな人生を生きる」ためには、他者や社会とのかかわりの中で醸成されていくものだと。
誰ともかかわりを持たず、家族や組織・コミュニティー等に帰属することもない状態で「幸せな人生を生きる」ことは出来ないと思います。
ホームレスの世界でもコミュニティーや仲間は存在しますから。
「幸せな人生を生きる」ためには、友人や家族、恋人、同僚など他者とのかかわり、社会とのかかわりがあった上で、自分の役割をまっとうする、貢献することで得られるものだと(もちろん、健康面での問題がなく、心が穏やかな状態を保っていることは大前提となりますが)。
自分が成すべきことに価値を見出し、役割と責任をきっちりと果たし、心身を安定させ、周囲にも良い影響を与え続けること。自分も自分にかかわる人も”良い影響”を感じてもらえることが、集団社会のなかで「幸せな人生」を歩んで行くためには欠かせないのではないでしょうか。
「信頼ほど人にやる気を起こさせるものはない」とコヴィー博士も言っていますが、人は信頼され、必要とされ、承認され、共感される中で「幸せな人生」を歩んで行けるし、そうされることで幸せの心の壺が満たされ、他者にも「幸せのペイフォワード」ができるのでしょうね!
「社会が、世の中が、あいつが・・・」と自分の不幸を社会や環境、他者のせいにしている間は幸せにはなれない・・・
自分の人生を自分で引き受ける、すべては自分が選択した結果であることを受け入れる覚悟がないと、アウトサイドインな人生を歩むこととなり、「幸せな人生を生きる」ことはできないのでしょうね。
人によって「幸せの定義」は異なりますので、私が思う幸せと皆さんが思う幸せは異なると思いますし、「いやいや、それは違う」とのご指摘もあるかとは思いますが、それほど「幸せとは?」というテーマは、価値観と同様に人それぞれだということです。
一つだけ共通することがあるならば、「不幸になりたい!」と思っている人はいないということです。
「7つの習慣」らしくまとめると(笑)・・・原則に逆らうことなく、原則を中心にした生活を送るから「幸せな人生」を歩めるのでしょうね。
(投稿番号438)