230313「正義中毒と7つの習慣(集団的バイアスの恐ろしさ)」-6

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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集団的バイアス(偏見)の恐ろしさ。

「人間は誰でも、どんなに気を付けていても、集団を形成している仲間をその他の人より良いと感じる内集団バイアスを持つものです・・・それほど強い悪意を持っているというよりは、ただ脳が手抜きをし、バイアスに乗っ取られているといったような状態です」
「本来であれば、様々な意見や考えの違いがあり、その一人ひとりに対して丁寧に判断をしていく必要があります。しかし、このバイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できるのです」

⇒嫌韓のように民族を十把一からげにしてしまう集団もあります。サッカーとか野球でファン同士が相手チームのファンに暴行を働く心理もこの集団的バイアスがかかっている状態と言えるでしょうね。

「人は誰しも、自分を律していなければ、身内には甘く、それ以外の他人には厳しい態度を取るようになってしまうことが往々にしてあります」

⇒自分を律すること・・・まさに「7つの習慣」の出番です(笑)

「例えば政治的に敵対しているAとBの勢力があったら、Aの有名な政治家が倫理的に悪いとされること(政治資金に関わる不正等)をしていると報道されたらどうなるでしょうか。Bの人たちにとっては格好のネタとして一斉に攻撃を始めます。集団外の人物の失敗だからです。“ひどいやつだ”“政治家の資格があるのか”“すぐに説明責任を果たせ”・・・などなど、よく聞いたことのあるフレーズをあれこれ駆使して責め立てるでしょう。
では、同じことをBの政治家がした場合は、Bの人々の反応はどうなるでしょうか。“それが政治家の能力的に何か問題となるのか”“そんなことよりもっと本質的な議論をしたらどうですか”などというコメントを口々に発するのではないでしょうか」

⇒政治あるあるですね!国民から見たら税金使って1年中コントをやっているようなもの。


我が街御前崎にも“正義中毒に罹患した一部の市民”が、「我こそは正義だ!」と活動されている姿が散見されますが、やはり旧石器時代のパラダイムから抜けられない、価値観のアップデートができない方々なんだろうなと残念に思います。

さて、このような集団的バイアスに引っかからないために私たちができることは“原則に則って生活する”ことです。

「状況を変えたければ、まず自分たちが変わらなくてはならないのだと、私たち夫婦は悟った。そして自分が本当に変わるには、ものの見かた(パラダイム)を変えなくてはならない」完訳版 p7
「本当の意味で効果的な人生を生きられる人は、自分のものの見方(パラダイム)には限界があることを認められる謙虚さを持ち、心と知性の交流によって得られる豊かな資源を大切にする。そういう人が個々人の違いを尊重できるのは、自分とは違うものを持つ他者と接することで、自分の知識が深まり、現実をもっと正確に理解できるようになるとわかっているからなのである」完訳版 p408

心と知性の交流ができて、初めて建設的な、未来に向けた議論ができます。

そのためには、やはり相手を理解し、違いを尊重するという原則、自分のパラダイムを疑ってみること、固定観念や既成概念に引っ張られない人格を持つこと、常に学び成長し、変化の扉を開け続けることなど・・・答えはすべて「7つの習慣」に書いてあります。どんな場面に置いても「7つの習慣」は万能です(笑)

なぜならば、人類普遍の不変の原則を記している書籍なので。

「7つの習慣」に描かれた原則に則って生活することで、他者を攻撃するような集団的バイアスから一抜けすることができるようになります。

次回に続く・・・

(連続投稿390回)