第283/365回:「愛の法則と人生の法則」-1

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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“人を人として尊重し、無条件で愛すること”も、相互依存の人間関係においては大切なこと=信頼残高の預け入れとなります。

昔、鉄の女と称された元英国の首相M・サッチャーが“愛”についてコメントを求められたときに「愛とは見返りをもとめずに与え続けるもの」と答えていました。

コヴィー博士も“愛”について「条件付きの愛と無条件の愛」についてこう述べています。

「私たちがすべきことは、相談役になり、弁護し、相手を守り、期待値を明確にする。そして何より相手を無条件に愛することである」完訳版 p276
「愛することに条件をつけたら、人生の基本的な法則(=原則)にそむいて生きることを相手に勧めていることになる。すると相手は反応的、防衛的な立場に追い込まれ、“自分が自立した価値ある人間であること”を証明しなければならないと感じるのだ。このようにして証明しようとする“自立”は、“自立”ではない。“反依存”の状態である」完訳版 p277

反依存の状態が続くと、人は“反抗”することで“自己主張”したり、自分の“権利”を守るためだけを考えて生きるようになる。

このときの内面の中心にあるのは、原則や価値観ではなくて“敵”だったり、“自己”だったり“家族・友人・同僚等”だったり、原則の外側にあるものです。

「反抗は、“頭で起こした問題”ではなく“心で起こした問題”である。心の問題を解決する鍵は、無条件の愛を預け入れ続けることである」完訳版 p277

私たちは得てして、家庭でも職場でもついつい“条件つきの愛”を与えてしまっていることが多いのではないでしょうか?

「〇〇できたら、〇〇してあげる」のような・・・

例えば、「親の言うことを聞いたら〇〇してあげる」とか「あなたのためを思って言っているんだから(本当は自分の欲求を満たすためですが)」・・・企業で例えたら、従業員を一人の人間として尊重することをせずに、「予算が達成できたものは、昇給・昇格・賞与アップの対象とする」とか・・・これでは、目の前にニンジンをぶら下げて、お尻を叩かれる馬と同じです。

人は自分の存在を認められて、人として尊重されたときに“自分の存在価値”や“自己肯定感”が高まり、「自立」への一歩を歩みだします。

お金や役職といった“モノ”によって相手をコントロールしようとし、人を“交換可能なモノ”として位置づける“産業革命時代のマネジメント”がいまだに幅をきかせている企業がなんと多いことか?と驚かされます。

「飴と鞭でモチベーションを引き出す考え方も産業時代の産物だ。ニンジン(報酬)を目の前にぶら下げてその気にさせ、鞭(恐怖と懲罰)で尻をたたいて働かせる。人をロバ同然に扱うテクニックである」第8の習慣 p50

「愛の法則と人生の法則」も奥が深そうです!続きは次回に・・・

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