230408「ヒトラーに欠けていたもの・・・」

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「7つの習慣」においても「第8の習慣」においても歴史に名を遺す偉大なる指導者たちの言葉や教訓がたくさん描かれております。

唯一、「第8の習慣」に登場したA・ヒトラーを除いて。

ヒトラーも歴史に名を遺す人物であることに変わりは無いのですが、それは歴史上「最悪」の人物として私たちの記憶に刻まれることになりました。

「私が実権を掌握したら、最初にしてもっとも重要な仕事はユダヤ人を撲滅させることである」A・ヒトラー

コヴィー博士はヒトラーについて・・・

「ヒトラーは、ビジョン、自制(ビジョンを達成するために犠牲を払う能力)、情熱を持っていたが、エゴに駆り立てられていた。良心を欠いていたために失墜したのである」

と述べています。

偉大なる指導者たちと、ヒトラーの唯一にして最大の違いは“良心の欠如”であったと。

「ビジョン、自制、情熱の源泉が良心でないと、リーダーシップは長く続かず、そのリーダーシップによって築かれた組織や制度も長続きしない。要するに、道徳的権威(選択する自由と能力を原則に基づいて使うこと)の裏打ちのない形式的権威は挫折するのである」「第8の習慣」 p126

ヒトラーは自由選挙(民主的手続き)により選出された国家元首であることは歴史認識にずれは無いと思います。

国民の熱狂的指示によって生まれた政権がナチスであり、その総統がヒトラーであった。

情熱的な演説(コヴィー博士いわく、情緒的インテリジェンスがきわめて高かった演説)で、国民を心酔させ、その後は恐怖による支配、圧政で国民の反ナチス感情を根絶やしにしていった過程はいまさら説明など要らないでしょう。

ヒトラーのビジョンは明確でした。「ユダヤ人を撲滅し、アーリア人が支配する世界を構築する」

そこに向かう情熱(エネルギー)も尋常ではなかった(思想も情熱も行動も)。

そもそものビジョンが原則に反しているのですから、不幸な結果が待っているのは自明の理ですが、ひょっとしたらヒトラー本人は「これが正義だ」という熱意に駆られていたのかもしれません。

ヒトラーという人物の背景にまで思いを馳せることはしませんが。

ビジョンも、そしてそれを達成するためのミッションも原則に反しているのですから、この思想や行為が“良心”に反していることも自明の理。

「7つの習慣」は成功者と呼ばれる人たちの“普遍的で不変の原則”を体系化した書籍です。

原則には良い原則もあれば、悪い原則もあります。

欺瞞・殺戮・憎悪・怠惰・差別・・・このような悪い原則に則って行動すれば、その結果も不幸なものに終わる。

「価値観は行動を支配し、原則は行動の結果を支配する」の原則。

良い原則も悪い原則もどちらを“選択する”のかは各自の自由です。

良い原則に働きかける声が、“良心”。だからこそ、自らの価値観やパラダイムに駆られて行動に移す前に“良心の声に耳を傾ける”ことが大切なのですね。

「7つの習慣」における良心とは、善悪の判断以外に、良い原則に基づいた選択能力を高めていくことという意味合いも含まれております。

価値観=原則の状態であれば、それは理想の状態。良心の声に従っている状態です。

ヒトラーの価値観は悪い原則に則ったものであり、良心の声にも耳を傾けなかった。これが歴史上最悪の人物として刻印されることとなった所以であると考えます。

民主的手続きによって選出された政治家は、政策も民主的でなければならない。国民は選挙によって選出された政治家が、その後も民主的手続きを踏んでいるかを観察していかなければならない。それが真の民主主義である。民主主義が短期間の間にファシズムに変わることを抑止するためにも。

たまたま、先日読んだ記事に書いてありました。

もちろん、ヒトラー以外にも暴力と殺戮という恐怖政治で人民を押さえつけ、自らのエゴに基づいて国家を崩壊させていった悪名高きリーダーたちはたくさんいますが、どれも皆、「悪人たちの不成功の法則」に則っていたのでしょうね。

(連続投稿416日目)

 

コメント