第112回:「共感」することと「同情」することの違い。

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は読んだだけでは効果がありません!実践してこそ初めて”効果”と”効果性”が得られます。御前崎市在住のガーデニング社労士、児玉伸也の「日本で2番目に判りやすい、7つの習慣実践講座」にようこそ。

「共感」と「同情」は似て異なります!

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・「共感」・・・相手と同じ状況に自分が置かれたらどう感じるのかを想像する能力のことです。相手の感情を「経験」する、ということです。相手の気持ちを汲み取ると言ってもいいでしょう。
即ち、相手の視点や立場に立って相手の”感情や気持ち”に寄り添うことです。

 

・「同情」・・・相手の感情を追体験することなく、その人の痛みや不幸に対して心配や哀れみ、悲しみを感じたり表現したりすることです。相手の感情の旅路をともに歩くことはせず、その人が経験していることについて、自分が心苦しく思うことです。

即ち、自分の立場で相手の思いに乗っかることです。自分本位でマウントをとってしまうリスクがあります。

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書籍でもコヴィー博士はこう述べています。

「共感は同情とは違う。同情は一種の同意であり、価値判断である。たしかに、共感よりも同情してあげる方が適切な場合もある。しかし同情されてばかりいたら、人は同情を当てにするようになり、依存心が強くなってしまう」

厳しいですね!?

単語の持つ意味は違えど、根本に相手の気持ちに寄り添うと言う姿勢があれば、自然に「共感」になると思います!

大切なことはどのような気持ちで相手に接するのか?と言うことです。

私事になりますが、私は「お気の毒に」「それは大変でしたね」「心中お察しします」・・・のような定型文は嫌いです!まるで他人事の紋切り型の言葉。

では、何と言うか?・・・何も言いません!と言うか言えません!言うとしたら「言葉が見つかりません・・・」だけです。本当に相手の辛い状況を見聞きしたら、言葉は出て来ないですよ。どれだけのショックなのか?どれだけの深い哀しみなのか?判るはずないもの。増してや定型文で自分の視点で言葉にするなんて、マウント取っているようなものだと思っております。