第249/365回:「アドラーVSコヴィー博士」-2

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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昨日に引き続き、アドラー+コヴィー博士の共通原則?を幾つかピックアップ致します!

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①「価値観」=価値観は絶対的なものではない。自分の価値観で他者を測ったり、押し付けたりしないことが大切。意見が異なる人がいるなら、事実と意見を分けて、相手の意見を“そういう見方もある”と受け入れる姿勢。by アドラー

「違いを尊重する」
「違いを尊重することがシナジーの基本である。人間は一人一人、知的・感情的・心理的にも違っている。そして、違いを尊重することが出来るようになるためには、誰もが世の中をあるがままに見ているのではなく、”自分のあるがまま“を見ているのだということに気がつかなくてはならない」by コヴィー博士

 

②「理想だからこそ、追い求める」=「理想の状態がハッキリわかるからこそ、私たちはそこを目指して進んで行くことが出来る。どこに向かうべきか判らなければ、私たちは道に迷ったまま途方にくれるだけである。しかし、“これが理想の、最善の状態”と言う光が暗闇に差せば、私たちはその一点に意識を向けて進むことが出来る」byアドラー

⇒“原則中心のパラダイム“
原則は(暗闇を照らす)灯台に例えることが出来る。それは、人間の成長と幸福を左右する原則であり、人類の歴史がたどってきたあらゆる文明社会に織り込まれ、長く繁栄した組織や家族の根っことなる自然の法則である。私たちの”頭の中の地図“がどれほど正確であっても、原則を変えることは出来ない」by コヴィー博士

 

7つの習慣③「共感と同情」=「同情すると落ち込んでいる相手は依存を始め、関係が悪化する可能性がある。共感はお互いの相互尊敬・相互信頼の上に成り立つため、相手の目で見、相手の耳で聴き、相手の心で感じることが出来る」by アドラー

⇒“共感による傾聴”
共感と同情は違う。同情は一種の同意であり、価値判断である。確かに共感よりも同情してあげる方が適切な場合もある。しかし同情されてばかりいたら、人は同情を当てにするようになり、依存心が強くなってしまう」
「共感して聴くには、耳だけでなく、もっと大切なのは、目と心も使うことである。相手の気持ちを聴き取る。言葉の裏にある本当の意味を聴き取る。行動を聴き取る。左脳だけではなく、右脳も使って、察し、読み取り、感じ取るのである」by コヴィー博士

 

④「論理的結末」=相手の行為について事前に話し合い、行為の結末の責任は相手自身に引き受けてもらうこと。by アドラー

⇒“win-win”
「win-winとは、ガイドラインと使えるリソースをはっきり決め、その範囲内で具体的な結果を達成する責任を個人に持たせる考え方である」by コヴィー博士

 

⑤「ライフスタイル」=「(身体に障害があるなどの)身体的影響、(自分自身に対する)劣等感、虐待を受けたり等の育った環境の“影 響”はあるかもしれないが、それをどう感じ、どう意味を与えて行くか決定するのはすべて自分自身」by アドラー

⇒“選択の自由”
「人間は本来、主体的な存在である。だから、人生が条件付けや状況に支配されているとしたら、それは意識的にせよ無意識にせよ、支配されることを自分で選択したからに他ならない」by コヴィー博士

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前回・今回とアドラーとコヴィー博士の“共通原則・共通認識”を幾つか取り上げてみましたが、如何でしたでしょうか?

他にも多々共通する要素はあります。

こうして書き出してみると、アドラーにしろ、コヴィー博士にしろ、「人を動かす」D・カーネギーにしろ、自分の人生の責任は自分で持つと言う考え、人としての在りかた(人格主義)、他者との良好な関係を築くための自分の姿勢などなど、やはり偉大な成功者たちの考えはほとんど同じである!と言うことは自明の理=原則であることが改めて納得出来ました!(^^)!

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