230312「正義中毒と7つの習慣(正義中毒の原因はドーパミンだった!)」-5

児玉伸也のブログ

「7つの習慣」は人が人らしく、自分らしい人生を生きるための、そして個人にも組織にも人間関係に置いても、長期的・継続的な効果(豊かで実りある人生)が得られる「原理原則」が描かれた書籍です。

原則とは・・・①万国共通で不変なもの
       ②質の高い結果を生みだすもの
       ③私たちの内面の外側にあるもの
       ④私たちが理解しなくても、受け入れなくても、必ず作用するもの
       ⑤自明的であり、理解すれば私たちに大きな力を与えてくれるもの

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なぜ、人は人を許せなくなってしまうのか・・・

「そもそも人間の脳は誰かと対立することが自然であり、対立するようにできています」

「人は、本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできています」
⇒これが最悪の形で具現化したのが戦争でしょう。この対立を防ぐために、人間のみが持っている自覚・想像・良心・意志の力を活用することが必要になってくるのでしょうね。

刺激⇒反応ではなく、刺激⇒スペース⇒反応を選択することができるのも人間のみですから。

ここで脳科学の側面から、他者を攻撃する理由が述べられています!

「私たちが正義中毒になるとき、脳内ではドーパミンが分泌されています。ドーパミンは、快楽や意欲などを司っていて、脳を興奮させる神経伝達物質です。端的に言えば、気持ちいい状態を作り出しています・・・攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽が得られるので、やめられなくなります。自分たちの正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す“悪人”として叩く行為に、快感が生まれるようになっているのです」

⇒興奮して感情に支配されるから、ドーパミンが分泌されて攻撃することに快楽を憶えてしまうのであれば、そもそも感情に支配されない選択をすれば良い(ドーパミンを分泌させない)のです。

「正義という大義のもとに相手を攻撃する」こと自体が、原則に反しています。感情に支配されないことを選ぶという行為は、自分で直接コントロールできる”影響の輪”のなかのできごとですから。

どんなに憎い相手でも、“許す”という選択をすることはできます。“人を許す”という行為は、人格の高さが試されるリトマス試験紙のようなもの。

「男性にとって、女性は一人の人間としてよりも“女性”という外集団に属しているものとして認識されます。女性にとっての男性も同じです。何か議論になった際に、そこに個々の人格を認めにくいため、議論の内容よりも“議論を挑まれたこと”に反感を抱くという現象が起きやすくなるのは、このためです」

⇒「女のくせに、ガキのくせに・・・」こうした旧石器時代のパラダイムが、発言の内容よりも相手の所属する集団を“外集団”として認知としてしまうために、相手を下に見る、マウントを取りたがるという結果をもたらすのでしょう。

パラダイム⇒思考・行動⇒結果の法則でしたね。

*こうした偏った考えをバイアス(=偏見)と呼びます。

「人が人を許せなくなってしまう」原因・・・そういうことだったのですね!

「人が傷つくとき、その最大の原因は他人からされた行為ではなく、その行為に対する自分の反応にあるのだ」第8の習慣 p298
「自分自身が選ぶ反応が自分の人生を決めるのであり、私たち人間は置かれた状況ではなく自分自身の決断の産物なのだ」第8の習慣 p298

相手を憎むことも許すことも、攻撃することも、理解に努めることも・・・すべて人間だから選択ができます。

本能に「Noを突きつける」ことも人間だからできるのです。

次回に続く・・・

(連続投稿389回)